片付け おそうじびより
実家の固定電話を解約した
子供の頃から
ずっと忘れない番号
自分のマイナンバーのようなもの
今日で消えた
思い出が
消えた気がした
毎週
実家の片付け
借地だった花畑も解体
親の仕舞いをするのは寂しい
我が子たちも孫たちも
いつかこんな思いをするのだろう
順番✨
これでよかったのだ…かな
人は終末に向かい
だんだん衰えていく
自分も子供の頃からすると
体の硬さや痛みが出てきて
まだ先かもしれないが
間違いなく
人生に終わりがある事を
時折感じる
施設に預けた
親の事を考えないことはない
言葉では言い尽くせないくらいの
親の思い出が浮かび上がってきて
考えると時間が止まる
一人では生活出来ないから
施設にいる
自由ではない
親の最期を
自分が決断してよかったのか
これでよかったのか
答えは出ない
認知症の親を一人にする事は出来ない
これでよかったのだ
と、思うようにして
やり過ごしている
親がいなくなったら
自分は後悔するのでは
との思いもある
その時
どう思うのか
また
これでよかったのだ
と、思うようにするのか
ご先祖様への
お供えの花
国境なき医師団へ少額支援
少額であるが
毎月支援させてもらうことにした
自分が家で
くつろいでいる時
どこかで誰かが
助けを求めている
目を覆いたくなるような
痛ましい辛い記事を目にすると
何かしら
動かなければと思う
先ずは支援
微力だが
何かせずにはいられない
生まれた場所
育った場所
今いる場所
そこが不遇な場所なら
助けてあげたい
微力だが
親と
1月29日
父の祥月命日
2月19日
弟の祥月命日
2人の命日は近い
もう誰も覚えている人はいなくなった
自分だけ
先祖供養は自分のおつとめ
介護施設に入った親は
夫や最愛の息子の命日は
わからなくなった
自分が忘れたら
誰からも供養されない
そうやって終わっていくのが供養なのだろう
昨日は気温が上昇した
親を連れて
墓参りと温泉
少しずつ少しずつ
心身ともに遠くへ旅立つ準備が
出来ている親は
子どもに
そして
赤ちゃんになってきている
親と一緒に
牛歩の歩みで墓参りを済ませ
近くの温泉センターの家族風呂で
入浴させる
もう親の老いにより大浴場への入浴は
困難となった
老いた親との家族風呂(°▽°)
最初から最後まで
手を掛けなければ入浴出来ない親
大人を入浴させるのは
ちょっとした
ダイエットにはなる!
頭、体を洗ってあげる
支えてあげて浴槽に入らせる
温まったら
体を拭いてあげ
服を着せて
ドライヤーで髪を乾かせる
親は施設での入浴を拒否するので
これは自分の仕事
今週も入浴作業終わり
親を連れて実家に帰宅した
仏壇の前に椅子を置き
親を座らせた
ご先祖さん達と話をしてごらん
と、親に言ってみる
親は
いきなり京都弁
戦争中
京都から疎開した親は
この南国の田舎の土地に
馴染まなかったらしい
馴染もうとしたのかもわからないが
長い年月を経ても
何か特別な時は
京都弁
母のステータス京都
いつか連れて行ってあげたい
親は京都弁で
長生きさせてもらってる
ありがとう
と、話している
ふーーーん
感謝してるんだ
と、内心、笑ってしまった
夕食は
握り寿司を食べたい
と言っていた
親のリクエストに応えて
握り寿司を買って食べさせた
食欲もりもりだ
食べられるうちは
食べてくださいませ
親さま
夕暮れ
2人で家の周りを散歩した
残り少なくなる大切な時間
実家の周りは美しいです✨
四国へ
四国へ帰る長男家族に付き添い
数時間、四国に滞在した
長男が町を案内してくれた
ベビーカーを押して帰って行く長男の背中を見送り
南国へ帰るため特急列車に乗った
台風
台風19号から離れているこの南国でも
時折、強い風が吹く
本当に勢力の強い台風だ
台風が通過していく地域の被害が
甚大にならないように祈るばかりだ
我が家のあたりは台風銀座と呼ばれていた
最近は銀座ではない
自分が生まれる前
かなり昔
高波で船が家に入ってきて
家が全壊したという
昔は消波ブロックも無かったのだろう
自分の幼少期
消波ブロックは整備されていたが…
子供の頃を思い出す
この辺り
台風の直撃だったのだろうか
市の対策本部の担当者が
港に面した我が家に現れ避難するようにと
伝えにきた
夜だった
船乗りだった父がたまたま休暇で家にいた
家族全員で避難所に向かった
その後
猛烈な風が吹いたのだろう
避難所も停電していた
子供ながらに
暗い中で不安な夜を過ごした
しかし
いつも不在の父が台風の日に居たことは
嬉しかった記憶がある
我が家は被害を免れたが
近所の数軒が高波で被害を受けた
夜が明けてくると
被害が見えてくる
台風19号の勢力が劣えますように
出産間近
10日ほど前から
長男の娘の面倒を家でみている
孫は2歳
帰省して出産に備えていたお嫁さんが
切迫早産で入退院を繰り返し
我が家で孫を世話する事となった
一時期
帰省先のお嫁さんの実家近くの保育園に通っていた孫だが
肺炎を起こし入院していた
慣れない集団生活の疲れなのか…
通い始めて一週間も経たないうちに
発熱を繰り返していた
退院しても
集団の生活には無理があるのでは
また同じ状況になるのではと心配した
そして我が家で孫を世話し始めた
お嫁さんが入院するまで
孫はまだ夜の断乳も済んでいなかった
結果
いきなり厳しい断乳を強いられた
そして
しばらくして孫も肺炎で入院した
お嫁さんも大変だが
2歳の孫はもっと試練だったと思う
孫は初の小児科入院で
24時間点滴と檻のようなベッドに繋がれ
泣くだけ泣いて眠る
その生活をしばらく続けて退院した
我が家での孫の世話事情は
昼間は義母
夕方から朝までは我が家である
義母には
本当に申し訳ないほど感謝している
義母は自分の出来ることはなんでもする
家や庭だけでだったらみてあげられる
と、言ってくれて
平日は世話をしていてくれる
この歳で役に立っている事が嬉しい
と言ってくれた
足腰は相当
きついはずなのに
何時に何を食べさせた
何回排泄をした
何時に昼寝をした
メモまで残していてくれる
自分達は85歳になったとき
孫の世話が出来るだろうか
家族で義母に感謝する日々である
孫も
最近では我が家でもよく寝てくれる
預かり始めは
一晩、泣き続けていた
本当に不憫に思えた
10月に入ったら長男が帰省してくる
孫も少しは不安が解消される事だろう
明日は孫を連れて
親の施設に行く予定だ
こちらの85歳とも会話をしようと思う
早産で安静を強いられていた嫁は順調に
母胎を保っている
もうすぐ出産予定日だ